[ #東雲めぐ AC2018] 推しに生きる話(NO OSHI, NO LIFE)

投稿者: | 2018-12-22

この記事は #東雲めぐ Advent Calendar 2018 17日目の記事です。
昨日の記事はVrnonproさんの「東雲めぐちゃんのライブを見に東京から沖縄まで行ったお話」でした。

推しのイベントのための遠征に理由なんていらないんです。
「推しがそこにいるから行く。」ただこれだけです。海外だろうがドンとこいです。それにしても沖縄良いですよね沖縄。
そしてyasaoさんお誕生日おめでとうございます!!!


こんにちは。はじめましての方ははじめまして。アムザといいます。
とある会社で会社員をしています。VR/AR系を担当できてますがエンジニア職ではありません。隠す気はないのですが、自らSNSに書くと面倒らしいので社名は書きません。
私は、こんな場所に名を連ねるなんて勿体ないぐらい、にわかめぐるーまーです。本業はアイマスPです。その他自己紹介はProfileをご覧ください。


今回は「推しがそこにいるから行く」と言わしめるほど沼にはまってしまったアイマスP(若干声優オタク)が、正直に推しを愛すること、好きを好きだと表現することの素晴らしさを語りたいと思います。何を書いたか自分でも分からなくなってきました。
めぐるーまーって、だいたいこう、拗らせてる人多そうじゃないですか。(合同誌やプレゼントボックス、サイリウムの話題を見ると、意外とウブな人が多くてびっくりしましたが……)

とにかく、めぐちゃんに限らず、VTuber全般、そしてVの者が好きな方は、どうかその熱意を無駄にせぬよう、推しを愛してあげてください。そして、推しに生きてください。NO OSHI, NO LIFE.

 「推し」という沼には思い切って飛び込もう

私が初めてアイマスPになり、声優さんが好きになりはじめて、周囲の友人から「アムザさん最近すごい勢いで沼ってて軽くヤバイ人になってるから」と言いたい放題されたことがありました。

まあ確かに、日本各地のツアーライブやCDリリースイベントを全通したり、2回の海外公演に足を運んだり、ゲーム内イベントでは上位10位以内に入ったり、声優さんには個人で楽屋花やフラワースタンドをイベントに贈ったり、少々やりすぎなところがあるのかもしれませんが、今でも、それだけやっても埋めきれない心の溝があります。

私は一度沼に飛び込んだあとに後悔することがあります。それは、なぜこんな素晴らしい沼に今まで気付かなかったのだろうという気持ちを強く感じたからです。なぜ過去のアイマスライブに行ってなかったんだ、なぜ声優デビュー当時から存在を意識していなかったんだ……という気持ちは今後も消えることはないでしょう。ライブだけでなく、ゲームでもアニメでも、なんでリアルタイムにできなかったんだろうと悔しくなります。それでも、受け入れるしかないのが現実です。

つまりは、好きになりそうかもしれない対象には、少しでも気になったなら早めに手を付けておけと言いたい。後から見返して、ああああああああああああのイベント参加しておきたかったああああああってなっても、時は戻せないのです。

 推しが複数いても問題ない

さて、ネット上では時々「推しが複数いて1人に絞れなくて申し訳ない……」という話を目にすることがあります。え?それのどこが悪いことなんですか?
私も、好きな声優さんが沢山いて、好きなアイドルがいっぱいいる。そこに東雲めぐちゃんが加わったのです。
たくさんの推しがいたから、たくさん好きなことがあったから、つらい学生生活を乗り越えられました。たぶん1人に絞ろうとしてたら、私は今生きていられてないです。

もちろん、申し訳なく思う時もあります。例えば、東雲めぐちゃんのバーチャルエンタスイベは、推し声優のイベントと被って行けませんでした。沖縄のライブも、同様に推し声優のイベントと被りました。
せっかくの舞台を現地で応援できないことは寂しいし、少し申し訳ないなと思います。いや、ちょっと違いますね。申し訳ないのではなく、自分が許せなくなるんです。推しのイベントに行けない自分という存在が、別の予定を入れてしまった自分を、許せなくなるのです。
でも、好きでいればいい、応援できていればいい、そう言い聞かせれば、自分を許せる。そのためには優先順位が必要なんです。自分を許せないと、心が死にます。

(というより、今回は半年前から推しのイベントが決まってたんですよ……バーチャルエンタスの日なんて4か所でイベ回しですよ……複数推しはつらい……)

他の解釈の仕方もあると思います。誰しもが「推し」の一番ではなく、「推し(嫁属性)」の一番だとか、「推し(娘属性)」の一番とか、推しの中でも属性を分けるのです。

例えばでアイマスの例を挙げますが、私には担当アイドル3人います。同時にプロデュースしていくときには、それぞれに「嫁、娘、妹」のようなイメージを当てています。これにより、アイドルとの接し方、接され方、彼女たちの将来を考えています。ただひと通りの見方ではなく、推しのそれぞれに別の見方をあてることで、複数の最推しを並行して存在させるのです。好きな声優を語るときにも当てはまりますし、もちろん、Vの者を推すときも同じでしょう。

 軽率に「好き」と言っていこう

では、後から推しを好きになったら、推しの活動に出遅れてしまったらどうすればいいのか。過去を後悔する代わりに、今どうするか、これから先どうしていくかに力を注ぐべきだと思っています。声優の下田麻美さんが、アイマス11周年を記念したニコ生で「大事なのは濃度!」と言葉を残していましたが、まさにそのとおりだと思っています。私は、私の人生が大きく変わってしまうほどに、ものすごい濃度でアイマス沼に浸かったと思います。

何が言いたいかと言えば、いつから知ったとか、いつから好きだったとか関係なく、推しが好きだということを積極的に表に出すべきだということです。そして、年がら年中その推しのことしか考えていないぐらい、濃度の高い生活を過ごせばいいのです。

「好き」という感情を聞いて嫌な気分になる人はほとんどいないでしょう。しかも、推しは生きていてエゴサーチできるのです。自分のことを好きだと言ってくれる人がいたら、推しにとっても良い気分になるでしょうし、たまらないんじゃないでしょうか。

そして、軽率に「好き」と伝えると良いと思います。手紙でもリプライでもお便りメールでも何でも良いです。
推しから対面で「私なんかを応援してくれる人がいるのかいつも不安だから、応援してくれて、好きで居てくれる人がいることが何よりも嬉しい」と聞いたときに、じゃあ世界がどうなっても自分だけはずっと好きだと言い続けよう、みたいに思いました。文字で見るとちょっと気持ち悪いですね。

ちなみに、私はとある講演に登壇したときに、300人の聴講者とニコ生数万人の視聴者の前で「東雲めぐちゃんが好き」と言ってしまったことがあります。私は東雲めぐちゃんが好きです!!!

ただ、軽率に言い過ぎてるからか、自分の中で「好き」という気持ちの重さ、というか価値を感じられなくなってしまうんじゃないか不安になっています。見境なく好きと言っているわけじゃないんですが、好きだと思った人には遠慮なく好きだと言っているので、「この好きはどんな好きだろう」と思うのです。

例えば、青春アニメで悩みに悩んで告白するシーン、あのような「好き」という気持ちを、私はもう持てないのかもしれません。「恋」と「愛」の好きが違うのかなーと勝手に理解していますが、じゃあ結婚みたいな「愛」の好きなの?と言われると、またちょっと違う気がします。

 好きという感情はどんな気持ちか

例として声優を挙げますが、声優が好きという感情は、人によって様々でしょう。
応援する気持ちだったり、見守っていたい気持ちだったり、感謝の気持ちだったり、ガチ恋だったり。私にとっての”好き”は、それこそ相手によって違いますが、その根本は”現実逃避”です。日常に元気が欲しい、明るさが欲しい、癒やしがほしい、そんな動機が私の根底にあります。

それでも、応援したい気持ちは変わりません。好きでいる気持ちは変わりません。もし、声優さんがネガティブな思考に陥ったら、見てくれる人がいるのか不安になったら、そんな時にここに一人でも応援してる人がいるよというメッセージが届けば万々歳です。

応援するという言葉は都合の良い言葉です。しかも、自分の好きなように形にできる。手紙を送ってもいいし、リプライをしてもいいし、プレゼントを送ってもいいし、お花を贈ってもいいし、イベントに足を運んでもいい。そして声優さんを応援している人は世界中にたくさんいます。

だからこそ、自分の言葉が届いたか知りたくなるでしょう。もし、自分のメッセージが届いていることがわかったら、ご本人が伝えてくれたら、それほど嬉しいことはありません。手が届くはずもないのに、もしかしたら手が届いてしまうのかもしれない錯覚してしまう、だから私は声優さんが好きになりました。

この気持ちが、Vの者がファンの心をつかんでいくきっかけになったのでしょう。めぐちゃんが反応してくれたら嬉しい、ただそれだけでも、応援することの対価を得られているのです。

 応援は自己満足、他者と比べなくていい

私は今、何人もの声優さんを応援しています。私にとって応援は全て自己満足なのだと認識しています。

イベントのたびに楽屋花を贈ったり、同人活動の延長でプレゼント用のためだけに新しくグッズを発注したり、個人でフラスタを贈ったり、イベントのたびにお手紙を出したり。はたして声優さんにとって嬉しいことなのだろうかと、考えることは何度もあります。

それでも、贈ったという事実で、もしかしたら応えてくれるかもしれないという期待で、私自身が満足しています。だから、やめられない。ずっと応援していればいつかは覚えてくれるかもしれない。所謂”認知をもらう”といった言葉を知ったのは、そんな活動を始めた後でした。実際に、接近イベ(お渡し会や握手会など)で名前を覚えてもらって顔を覚えてもらって先に呼んでもらえて、この依存度の高さはすごいなあと思うところです。

でも、そんな応援には負の感情もつきものです。どの声優さんにも、デビュー当時とか昔からとか、ずっと応援されている方がいて、その人の知名度がすごくて、到底敵いやしない。そこはもちろん悔しいし、出来ることなら自分が一番になりたいと思います。それは自身のエゴであり、周りへ押し付けるものではないと分かっているのですが、どうしても割り切れないときもあります。

逆に、最初から応援を続けていたのに、あとから来た人のほうがチヤホヤされている、そんなときも負の感情が芽生えるかもしれません。それで気分が悪くなる人もいるでしょう。でも「老害な古参」にはならないように意識しています。

所詮、人の気持ちは不安定です。すぐに揺らぎます。その揺らいだタイミングでは、ちょっとした負荷で暴発する可能性があります。自分も相手も推しも、誰一人として幸せにならない出来事になってしまいます。

「よそはよそ、うちはうち」です。誰か他のファンの熱意と自分の熱意を比べる必要なんて無いんです。ただただ応援できていればそれでよくありませんか?

応援する行為は迷惑をかける行為であってはならない。人として当然のことですが、熱中して視野が狭くなると意外と頭から抜けてしまうものです。だからこそ私は、熱中し過ぎないように一歩引いたところから応援することにしています。それは、相手に迷惑をかけることが無いように、そして何よりも、自分自身の心と気持ちを守るために、自然体でいるための自己防衛だと思っています。

そして、これからも”好き”という気持ちで応援して、推しに生きていけたらと思います。

 終わりに

唐突ですが、「もし声優さんから認知をもらったら何がしたいか?」なんて質問をされたことがあります。

私の答えは常々「将来、声優さんが引退してのんびりした時に一緒に食事にでも行って、お酒飲みながら思い出話がしたい」みたいなことを言ってます。まあファンの1人である以上まず無理な話ですが、そうなれたら良いのにな、という夢です。

めぐちゃんの成人式で、みんなで集まってお酒を飲みながら、思い出話で泣き崩れることを夢見ています。

 


明日は18日目、ざっきーさんのめぐあーとまとめだそうです!私もにわか絵かきの端くれとして、さすがにそろそろやらねば……という気持ちに駆られています。

……そして今日は12/22です。アドカレ大遅刻でしたごめんなさい。
本当は担当日の17日(月)は土日の台湾遠征と東京公演のイベ回し明けで有給とって書いてるはずが、無限に仕事が降ってきていまして、年内はまだまだフル稼働待ったなしです……この三連休で冬コミの原稿片付けなきゃ……

でも、まいてぃさんの可愛いめぐちゃんイラストが見られたので、遅刻してよかったかもしれないと思い始めました(こら

というわけで、良いクリスマスを!そして良いお年を!